今日は東京大空襲があった日、ということで、住吉にある東京大空襲・戦災資料センターへ行ってきました。
ここは東京大空襲の惨状を次世代に語り継ぎ、平和の研究と学習に役立つことを願って、設立された民間の資料館です。入り口には「戦火の下で」と題された子どもを抱く母親の銅像が建てられており、その横に昭和20年3月10日の気象が記されていました。
気温3.4℃、風速7.9~12.7m。今日が6℃前後、風速8mだそうなので、かなり寒かったんですね。
館内には戦争被害のデータや、当時の都民の暮らしぶり、空襲で焼かれた品々などが展示がされています。
当時の生活の様子。もんぺがかけられていたり、窓ガラスに飛散防止のテープが貼ってあります。
現在しろくま社がある日本橋エリアの焼け跡
今日は、鎮魂の想いを込めて、ハープ・シンセサイザー奏者の八木健一・ゆみ子さんご夫婦とテノール歌手・喜納兼徳さんによる演奏会が開かれていました。
3月10日の夜はとても風の強かったこと、逃げる間に思い出した桜吹雪、飛行機の来襲の音などを表わした「寒い夜に」、「祈り・光へ(鎮魂)」などが演奏されました。
来館された方は戦争体験者の方が多かったようで、八木さんや嘉納さんのお身内が体験した戦争の話を「うんうん、そうだったねえ」と相づちを打ちながら聞かれていました。そのなかで、おそらく来場者で最年少だった私が一番心に残っているのは、演奏曲の1つ「椰子の実」のお話でした。
その日も一日を無事過ごして、夜ご飯を食べ、楽しみにしていた国民歌謡を流すラジオ番組から、一番人気のあった曲「椰子の実」が放送されたそうです。それを聞いて家族が寝入ったところに空襲があった、と仰っていました。
戦争が普通の人々や、家族の日常の中に入り込んでいたんだなぁ、と痛感したお話でした。
今年は戦争から69年目になるそうですが、すでに日本人口の80%が戦争を知らない世代になっているとのこと。
私も長崎の原爆資料館に行ったり、テレビなどで見聞きした知識はありましたが、こんなに間近に知るチャンスは初めてで、今日という日に相応しい経験をしたな、と思いながら会社に帰ってきました。